プチカミ

 このブログの名前の元ネタは東浩紀の『動物化するポストモダン』という本です。本の内容はオタク論ですね(著者は非オタク向けに書いたっぽいですが)。ようするに私はオタクです。アニメは殆ど見ないし、本場のコミックマーケットに行ったこともありませんが。とにかくそんなわけで、ブログでも主にオタク関連の題材を取り扱っていきたいと思っています。

 さて、今回は宗教とカミサマの話にしましょう。神様といっても「GOD」とか「大いなる主」ではなく、もう少し身近で小さな神様・・・・・・名付けて「プチ神様」です。
 人間とその共同体は、「こみゅにけーしょん」なるもので結ばれますが、それらを媒介するにはなんらかの物品や事象が必要となります。つまり共通の話題ですね。で、宗教もそのひとつに過ぎないわけです。神様という共通の話題を介して、人間同士が繋がり団結する。それが宗教の機能であり意義でした。現代、古い神様はニーチェ先生にぶち殺されたので、今の我々は神と呼ばれる超越意思の実在を信じません。現代人が信じるのは神ではなく神の残した思想です。神様は信じなくても「汝、殺すなかれ盗むなかれ」という思想は信じ守るわけですよ。そうして大いなる神を信じなくなった我々は、他の共通の話題を個々人が各自の好みに合わせて選択し、プチ神様として宗教と神の代用とするようになりました。例えば野球が好きな人が集まれば、野球は共通の話題という名の宗教となるのです。スタジアムで試合を応援する人々は、大掛かりな儀式に参加している状態であり、選手達は神々(あるいはその偶像)の役割を担います。ホームランを決めるイチロー選手や、ステージ上でファン(信徒)の歓声を集める水樹奈々は現人神タイプのプチ神様なんですね。実は。
 これらの神様にプチがつくかつかないかの線引きは、神様の為に人殺しができるかどうかがひとつの判断基準になると思います(自殺含む)。。昔、オリンピックだかワールドカップだかでどっかの国のサッカー選手が自殺点してしまい、彼は帰国直後に頭のおかしいサッカーファンに射殺されました。このように物騒なものはもはやプチ神様ではなく、その昔、宗教戦争で異教徒を殺戮したのと同じ、ガチの「神」がそこにあります(賭博の利権がらみ説もありますが、その場合は「金」が「神」です)。この理屈で言えば、バモイドオキも立派な神様になってしまいますかね。まあいいや。あるいはそこまでいかなくても「神」の「敵」に殺意を抱けるかで分けてもいいかもしれません

 で、オタクの場合、プチ神様の位置はその時ごとに人気のあるアニメやらゲームやら・・・・・・のキャラクターが担います。俺の嫁イコールプチ神様です。俺の「嫁」と言いますが、もちろん美少女である必要はありません。男の娘でもクリーチャーでもスーパーロボットでもなんでもOKです。萌え絵はイコンであり、フィギュアや超合金はプチ神様をかたどった神像なのです。

 プチ神様のいいところは、ガチ神様と違って盲信する必要がないところでしょうか。小型化されただけあって実用的になっていますね。